メディアプロジェクトを構想するための映像ドキュメンタリスト育成事業   
「geidaiRAM2」とは   

桂英史 [東京藝術大学大学院映像研究科教授/RAM2プロデューサー]

「コンテンポラリーアート」は「現代美術」と言われるが「同時代芸術」と訳すのが適切で、同時代に向き合う表現です。社会における切実なテーマや課題はたくさんあり、geidaiRAM2の研修生は、日々問題意識を持って暮らしている方々だと思います。

では、表現としての同時代芸術に何ができるのでしょうか。RAM2では、メディアプロジェクトとしての表現形式を構想してみようと思います。とりわけ映像表現、広い意味では、インターネット上のブログやSNSの発信などメディアを作りながら活動することもメディア表現と言えるとすれば、RAM2ではさらに、「メタフィクションを前提とするポストドキュメンタリーの視点」を前提としたいと思います。

■ 映像で何を表現するか、を問い直す

いま、映像作品が展示されていない芸術祭はほぼ存在しませんね。アートスクールのどのジャンルでも作品に映像が用いられることが多く、映像抜きにアートが語れないほどです。

ところが、「映像をどう理解するか」ということに向き合っているプログラムはあまりありません。インターネットが普及し、スマートフォンで4Kの撮影が簡単にできるようになって、監視カメラも当たり前になっています。このように映像が完全に抽象化され、映像の使用が暗黙知となって秩序が保たれている状況のなかで、わざわざ映像を使って何かを表現するとはどういうことなのかを、ここで問い直してみてもいいのではないでしょうか。映像とどう向き合えばいいのかというテーマは、依然としてコンテンポラリーアートや実験映画でも重要なテーマだと思います。

■ 映像がエビデンスを語るとき

RAM2では主に、「現地調査」や「対面調査」といわれる方法によって自分が関心を持っているテーマに関係する場所や人に向き合っていこうと思います。つまり、テーマについて現地に赴き関係する人たちに話を聞くといった、フィールド・サーヴェイを通してエビデンスを積み重ねていく方法です。ジャーナリストも人類学者もエビデンスを積み重ねて、それを真理として理解できるように伝えようとします。でもコンテンポラリーのアーティストたちは、積み重ねたエビデンスに何かもう一枚、自分たちの物語を被せ、メタファーとして社会的な課題を鑑賞者に読み取ってもらうような表現を作り出しています。

これは、これまでのドキュメンタリーという手法とは根本的に違っていますドキュメンタリーのように事実を切実に伝えることだけを目指しているのではなく、同時代のテーマついて「わたし」という語り手がエビデンスを切々と語っているものでもなく、「映像」を構成している色や音あるいは独特な時間などの微細な変化そのものがエビデンスを歴史化するような映像表現であると言えるかもしれません。

RAM2の課題は、大きく言えば同時代を伝える映像の力の由来とは何かという、映像表現の深層を積み重ねていこうというものです。実は、これを探究する確かな方法論があるわけではありません。どんなアーティストも暗中模索です。でも、映像の力に表現として確かな可能性を感じているアーティストもたくさんいるのです。「映像」を構成している色や音あるいは独特な時間などの微細な変化そのものがエビデンスを歴史化するような映像表現。それをここでは「ポストドキュメンタリー」と呼んでおきたいと思います。

【開催概要】
日時 : 2018年6月16日(土) 14:00-19:00
会場 : 東京藝術大学 上野校地 美術学部 中央棟2F 第3講義室
主催 : 東京藝術大学大学院映像研究科(geidaiRAM2)
共催 : 平成30年度文化庁「大学における文化芸術推進事業」

2018-06-17|